『「我君不遊有深意」という漢詩文の元になる原文・秋好中宮主催の豪華な祝宴・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」(英訳文・中国語訳付)66B』はセカイモンで66bbf6c36d31dから出品され、229の入札を集めて02月09日 19時 7分に、15000円で落札されました。即決価格は15000円でした。決済方法はに対応。愛知県からの発送料は落札者が負担しました。PRオプションはストア、取りナビ(ベータ版)を利用したオークション、即買でした。
閉じる
閉じる 閉じる 閉じる 閉じる 閉じるマーク・トウェイン著 山県五十雄訳註『該撒殺害 シーザー殺害 英文学研究 第6冊』明治36年 内外出版協会刊 原抱一庵関係史料 山縣五十雄
¥ 7720
森川勘一郎『谷水』限定200部 昭和16年 宇治久商店刊(名古屋市)古筆切集 紀貫之 小野道風 藤原佐理 藤原行成 藤原俊成 西行 寂蓮 源実朝
¥ 29000
古書 海の若人 井上乙彦 大正11年 非売品 アンティーク
¥ 18999
装劍奇賞 全巻セット/7巻揃 稲葉新右衛門 【合本】
¥ 7030
和本 『読史餘論』 全12巻4冊揃 明治 新井君美/著 日本政治史 武家政権 史論 (江戸 古書 和書 古文書 古典籍
¥ 5100
邨君御手書慎書 一冊 文政写 山中正吉旧蔵及び自筆書入あり 和本 古書 古文書 古典籍 版本 写本 唐本 漢籍 江戸 中国
¥ 6800
◎せきね文庫選集 第1期 限定250部 13冊 (本巻12冊+別冊目録1冊) 関根只誠 つるがの津三階蔵 近松門左衛門 歌俳百人選 歌俳百人集
¥ 9000
★0556和本江戸文政10年(1827)法律裁判写本「公裁秘録御定式」1冊/小諸藩家老牧野庄兵衛/古書古文書/手書き/入れ墨絵入
¥ 6600
小学漢文読本 上★明治16年★阿部広蔵編(547)
¥ 5780
為永春水作 渓斎英泉画 南仙笑楚満人閲『幼婦孝義録』(九巻九冊) 文政10年 大島屋伝右衛門他刊 江戸時代和本 読本 浮世絵師絵入本
¥ 18000
s200◆刈萱絵詞伝二十分一之図◆銅版画 刷物◆長野 苅萱堂 往生寺 水野善瑞 明治29年 仏教 浄土宗 信州 鳥瞰図 名所@摺物/古地図/古文書
¥ 5100
BB-8021■送料込■文選正文 山子點 和書 中国古典文学 本 古本 冊子 古書 古文書 印刷物 ●13冊まとめて・破損・汚れ有り/くOKら
¥ 7778
憂国 映画版 三島由紀夫
¥ 18183
◆欧米巡回取調書 全7冊中5冊セット 農商務省 1946年 初版 総覧 /法朗西國之部 /独乙國之部 / 独蘭那漁業之部 大学図書館除籍本
¥ 6480
■5c8* 和装本 放生よろこび草 放生歓喜草 ほうじょう よろこびぐさ 絵入り 沙門純称 述 文化乙亥 京都書林 藤井文政堂山城屋佐兵衛 和本
¥ 5100
吉川金鱗編『徴古帖 五』大正4年 芸艸堂刊 彩色木版画譜 古美術品文様集 図案集 吉川雅喬、福岡玉僊ら
¥ 8177
m155◆馬書◆絵入写本◆医学 兵法 兵学 軍学 馬術 江戸後期~明治頃@和本/古文書/古書
¥ 7200
慧遠『無量寿経義疏』(全2冊揃)文政元年 菱屋孫兵衛刊 江戸時代和本 仏教書 仏書 唐本漢籍和刻本 中国古典
¥ 7720
《 希少 貴重 中華民国十三年 歴朝名人書法律梁 8冊 上海啓新書局》函付 古書 古文書 唐物 唐本 中国美術 漢籍 掛け軸 時代物
¥ 15960
書窓 6巻6号 夢二スケッチ帖抄 竹久夢二画 恩地孝四郎編
¥ 7140
古文書 書簡 松平忠和 肥前国 島原藩主 徳川斉昭 徳川慶喜 歴史資料 江戸時代 佐賀県 幕末 まつだいらただかず (レターパックライト発送)
¥ 8500
長防臣民合議書 木活字版 元治二年乙丑十有一月序 宍戸備後助(山縣半蔵)起草
¥ 20520
AMT USS エンタープライズ号 海外 初版 シュリンク未開封(日本の倉庫より発掘)
¥ 29150
□未使用品□ UNIMAX ミニカー 1/32 Forces of Valor No. 80201 German King Tiger Tank Germany 1945 現状品
¥ 6600
Nintendo ニンテンドーDSlite ノーブルピンク 美品 任天堂ゲーム機
¥ 8058
希少!非売品・限定・ポケットモンスター カードゲーム プロモ 古代 ミュー 古代文字 ポケモンカード 未使用・送料無料・即決#7
¥ 8180
【箱未開封】この青空に約束を- てのひらのらくえん DXパック オリジナルサウンドトラック3枚組 オリジナルネックストラップ同梱【PSP】
¥ 6800
オークファンの無料会員に登録すれば
一度検索した商品をお気に入り登録可能。
マイブックマーク機能で
いつでもすぐに登録した商品を
見返すことができます。
既に会員の方はこちらからログインをお願いいたします
「同じ商品を出品する」機能のご利用には
オークファン会員登録が必要です。
価格を表示するには、
オークファンプレミアム(月額8,800円/税込)の登録が必要です。
まずはお試し!!初月無料で過去の落札相場を確認!
オークションで稼ぐための人気機能!
「期間おまとめ検索」を使えば、複数月をまたいだ指定期間の相場検索が可能です。レアな商品の相場や過去の出品数をまとめて確認できます。
さらに、オークファンプレミアムに登録すると最大過去10年分の相場データが月1,200回まで閲覧可能です。
価格を表示するには、
オークファンプレミアム(月額2,200円/税込)の登録が必要です。
まずはお試し!!初月無料で過去の落札相場を確認!
自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)上」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)上」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。若菜の巻名は、「小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき」に因む。源氏の君の兄・朱雀院(前朱雀天皇)は六条院の行幸直後から体調を崩し出家しようとするが、後見人の居ない愛娘・女三宮の将来が心配で躊躇している。婿選びに思い悩んだ末、朱雀院は源氏の君に女三の宮を託すことを決心、源氏も承諾した。年が明けて二十三日、源氏の四十の賀が盛大に行われる。二月に女三宮が六条院に降嫁した。翌年三月には明石の女御(源氏の娘)が東宮(皇太子・後の帝)の男御子を出産。それからしばらくして、突然冷泉帝が東宮(後の帝)に譲位した。一方、かねて女三宮の降嫁を切望していた柏木(内大臣の息子)は、その後も未練を残していた。三月末、六条院の蹴鞠(けまり)の催しに訪れた柏木は、飛び出してきた唐猫の仕業で上がった御簾の奥にいる女三宮の姿を垣間見てしまう。それ以降、柏木はますます女三宮への思いを募らせていく。源氏の君、39歳から41歳までを描いている。
自筆上部の「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)上の巻》
「若菜・上」の巻は英文で「New Herbs Part One」と表記されます。
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という、中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた「白氏文集」の漢詩文の落款が押捺されており、この漢詩文は「若菜・上」の原文中から引用されている。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。
自筆上部のタテ長の印は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」は、
中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた漢詩文の落款。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。
《「源氏物語」若菜・上(わかな)の巻》
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という若菜・上の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。》
《たひたひになりぬれは、口》・・・・おしくおほ(思)しとまりぬ。
[9-5 秋好中宮の奈良・京の御寺に祈祷]
師走の二十日余りのほとに、中宮まかてさせたまひて、
今年の残りの御祈りに、奈良の京の七大寺に、御誦経、布四千反、
この近き都の四十寺に、絹四百疋を分かちてせさせたまふ。
ありかたき御はくくみを思し知りなから、 何ことにつけてか、
深き御心さしをもあらはし御覧せさせたまはむとて、
父宮、母御息所のおはせまし御ための心さしをも取り添へ思すに、
かくあなかちに、おほやけ(朝廷)にもき(聞)こえかへ(返)させ
給(たま)へは、ことゝもおほ(多)くとゝめさせ給(たまひ)・・・《つ。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
《「源氏物語」若菜(わかな)・上の巻》
《秋好中宮が源氏の君の四十の賀の豪華絢爛な祝宴を開催》
《「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という漢詩文の元になる個所》
《帝(冷泉天皇)は、今年のこの源氏の君の四十の御賀に事寄せては、
行幸などもなさりたいとご計画あそばしたのであったが、殿(源氏の君)は、
(源氏の君)「世間の迷惑になるようなことは、けっしてなさいませんように」
と、たびたびご辞退申されたので、》・・・・帝(冷泉天皇)は四十の御賀への行幸は
残念ながらお思いとどまりになった。》
〔二十二・秋好中宮、源氏の君の饗宴を開催する〕
十二月の二十日過ぎのころ、中宮(秋好中宮)が宮中よりご退出あそばして、
今年の残りの御祈願として、奈良の都の七大寺にお布施として布四千反、
この近くの京都の四十の寺に、絹四百疋を分けてご奉納になられる。
またとないご養育のご恩を十分お分りになっていらっしゃりながら、
今まで格別のこもせずに過してこられたので、この機会をはずしてはなんの折に
深い感謝のお気持をはっきりごらんいただけようか、とお思いになって、
父宮(前の皇太子)と母御息所(六条の御息所)がもしご存命であったなら
こうもしてさしあげたであろう報恩の気持までをもお添えになって、
盛大にとお考えであるが、院の殿(源氏の君)が帝(冷泉天皇)に対してさえもこうして
強くご辞退申しあげなさったのであるから、あれこれのご計画を
大部分おとりやめになったのである。殿(源氏の君)からも、・・・・
《(源氏の君)「四十の賀ということは、先例を耳にしましても、そのあと残りの齢を
いつまでも保つ例はそう多くなかったのですから、》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。
《New Herbs Part One(若菜・上)》
Back at Rokujo towards the end of the year,
Akikonomu arranged the final jubilee observances,
readings at the seven great Nara temples and forty temples in and near the capital.
To the former she sent forty bolts of cotton and to the latter
four hundred double bolts of silk.
She was much in Genji's debt, and never again would
she have such an opportunity to show her gratitude.
She wanted everything to be as her late mother and father would have had it;
but since Genji's wish to avoid display had frustrated even the emperor's hopes,
she limited herself to a small part of what she would have wished to do.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《若菜・上》
冷泉帝只得然作。
十二月二十后,秋好皇后六条院。
要在年父源氏祝寿,特奈良七大寺僧,
布施布匹四千段;又京都附近四十寺僧,布施四百匹。
秋好皇后感源氏育之恩,欲乘此机会向他表示真的孝心。
又念父前皇太子及母六条妃子如果在世,一定也感他,
所以又着代父母祝寿之意。但源氏朝廷的祝寿也曾固辞,
故秋好皇后不便,只得将多原定去。
源氏道:“我考前代事例,
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・上の巻の末尾(原本番号108-B)の押印。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。2つとも貞子の印。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。
左上端の細長い落款は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩文の印。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・上の巻)MRI 34―66B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・上の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・上)」東京国立博物館所蔵
猫が開けた御簾(みす)の隙間から、柏木が女三宮を目撃する「若菜・上」の有名な場面
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。
源氏物 Yunsh wy 典的 Jngdin de不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定